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CONCEPT

~甲陽園、はじまりの地「本庄町」で暮らす。~

関西屈指の高級住宅街として知られる「西宮七園」の一つ「甲陽園」。
計画地は「甲陽園」の中でも原点とも言える遊園地のあった「大池」北側エリア。
界隈は開発を率いた「甲陽土地」の常務取締役・本庄京三郎氏の名を冠して
「甲陽園本庄町」と命名されました。
この地は現在の「甲陽園」、“はじまりの地”と言っても過言ではないでしょう。
それは今なお多くの人が憧憬するこの地の真髄を宿す場所ということ。
その証しとなる「大池」の畔りで暮らす価値は計り知れません。

History

この地の真髄を宿す本庄町アドレス。

美しい勝景に包まれて。
昔も今も変わらず「甲陽園」を象徴する景観美が、ここに。豊かな緑に囲まれ紺碧の水を湛えた「大池」、その彼方には「甲陽園」という地名の由来となった「甲山」が丸い頭をのぞかせています。
大正初期、この風光明媚な風景に心動かされた不動産会社「甲陽土地」の常務取締役・本庄京三郎氏は、「大池」周辺に遊園地、歌劇場、映画館、温泉などを整備し総合リゾート地を完成させました。
その後、時を経て、遊園地のあとは山手の緑に包まれた邸宅街に変わっていきました。
本庄氏の精神は「本庄町」という地名として残り、この地の原風景とともに確かに生き続けています。
昔も今も変わらず「甲陽園」を象徴する景観美が、 ここに。豊かな緑に囲まれ紺碧の水を湛えた「大池」、その彼方には「甲陽園」という地名の由来となった「甲山」が丸い頭をのぞかせています。かつての遊園地は、時を経て山手の緑に包まれた邸宅街に変わっていきました。本庄氏の精神は「本庄町」という地名として残り、この地の原風景とともに確かに生き続けています。
「西宮七園」の一つとして、
穏やかな風情や品格を誇る「甲陽園」。
総合リゾート地の盛況を受けて「夙川」と「甲陽園」を結ぶ阪急電車も開通。
人の往来がスムーズになったことで界隈は閑静な邸宅街として人気を博します。
大正期から昭和初期の阪神間では、「甲陽園」の他にも遊園地として開発された「香櫨園」「甲子園」をはじめ、果樹園だった「甲東園」、温泉地だった「苦楽園」、他にも「昭和園」「甲風園」などが邸宅地へ。
後に「西宮七園」と呼ばれるようになり自然豊かで瀟洒な街並みは住まう人々のステイタスになっています。
総合リゾート地の盛況を受けて「夙川」と「甲陽園」を結ぶ阪急電車も開通。人の往来がスムーズになったことで界隈は閑静な邸宅街として人気を博します。 後に「西宮七園」と呼ばれるようになり自然豊かで瀟洒な街並みは住まう人々のステイタスになっています。
※西宮市提供「【甲陽園】甲陽園の開発1 甲陽公園(大正7年5月)より」
洗練されたライフスタイルの
根底に流れる「阪神間モダニズム」。
明治末頃から都市部の商人、知識人の注目を集めた「郊外生活」というライフスタイル。
現在も阪神間の上質な邸宅地として広く知られる「西宮七園」には神戸開港以降の西洋文化の影響を受け、独自の生活様式や建築様式が育まれました。
こうした新しい時代の潮流は「阪神間モダニズム」と呼ばれるようになり、「甲陽園」をはじめ、その中心となったそれぞれのエリアには資産家や芸術家、文化人などが多く暮らすようになり、住人たちの意識も高かったようです。
明治末頃から都市部の商人、知識人の注目を集めた「郊外生活」というライフスタイル。
こうした時代の潮流は「阪神間モダニズム」と呼ばれるようになり、「甲陽園」をはじめ、その中心となったそれぞれのエリアには資産家や芸術家、文化人などが多く暮らすようになり、住人たちの意識も高かったようです。

※完成予想図CGは現地周辺からの撮影写真(2020年10月)にCG加工を施して合成したもので、建物の位置・スケール・向き等、実際とは多少異なります。建物は計画段階の図面を基に描き起したもので、実際とは異なります。今後行政の指導、施工上の理由等により外観・外構・植栽・仕様・色彩等に変更が生じる場合がございます。敷地外の一部、建物形状の細部、設備機器等の表現につきましては一部省略しております。予めご了承ください。